元プロ野球選手であり、日本ハムの監督も務めていた大島康徳氏が2021年6月30日、大腸がんのためご逝去されました。
追悼の意味を込めて、大島康徳氏の若い頃や現役時代の画像をまとめました。
また、最後まで大腸がんと闘っていた大島康徳氏の最後の画像についてもまとめてみました。
題して「大島康徳の若い頃や現役時代画像!現在の激やせ画像についても!」まとめます。

大島康徳の若い頃や現役時代画像まとめ
大島康徳氏は、1969年(当時19歳)にドラフト3位で中日に入団しました。
この写真は、大島康徳氏の中日ドラゴンズに入団して2年目(21歳)の写真になります。
大島康徳コラム第9回「オーラを放っていた『ON』」 | 野球コラム
投手として入団した大島康徳氏でしたが、入団して間もない投球練習で、コーチから一球目で「投手失格」を言い渡されました。
とてもショックな出来事でしたが、その後には当時の監督だった水原茂氏が素質を見抜いて打者へと転向させたそうです。
(上↑)こちらの画像は、1975年に撮影されたものです。
(上↑)こちらの画像は、オリックス戦の6回、通算2000安打を達成した時の姿です。
1990年8月21日の兵庫県西宮球場で、一塁塁上で花束を受ける日本ハム時代の大島康徳氏です。
輝いて居ていますね。
1994年の引退するまでは、代打の切り札として活躍していました。
通算成績は、2638試合に出場し、2204安打、382本塁打、1234打点です。
引退後は、NHKで野球解説をしたり、日本ハムの監督も務めていました。


私生活では、きれいな奥様と息子二人に恵まれていました。

現在(闘病中)の激やせ画像についても!
2017年に自信のAmebaブログで、「ステージ4の大腸がん」であることを告白した大島康徳氏。
がんが発覚したきっかけは、妻の奈保美さんから「ちょっと痩せたんじゃないの」と言われたことだったといいます。
大島康徳氏は“がんと闘う”のではなく、これまで通りの生活ができるように共存するという姿勢で、野球解説などの仕事をしながらの抗がん治療を続けていました。
もともと病院嫌いだったそうですが、健康診断は毎年受けていたそうです。
当時はちょうどダイエットのため食事量を抑えていたので、最初はそのせいだと思っていたそうです。
しかし、尋常ではない痩せ方から病院に検査に行った結果、大腸がんだったことが発覚したそうです。

それからは、2週間後に手術を受けました。
そして、抗がん剤治療を受けながら仕事を続けていました。
2021.4.17の画像です。
それからも、仕事と治療を続けながら、毎日のようにブログを更新し、病気と共に生きる姿勢を伝えていました。
とてもげき痩せしてしまった大島康徳さんの画像です。

痩せていますが、目は力強く、最後の最後までどうどうとしたカッコイイ生き様を見せて頂いきました。
大島康徳さんのご冥福をお祈り申し上げます。

まとめ
「大島康徳の若い頃や現役時代画像!現在の激やせ画像についても!」についてまとめました。
最後までお読み頂きありがとうございました。
大島康徳さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。