歌舞伎俳優の二代目中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)さんは、
2011年(平成23年)、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された偉大な人物です。
人間国宝となった二代目中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)さんは今でも男前の姿が印象的ですが、若い頃はどんな感じだったのでしょうか?
歌舞伎俳優の二代目中村吉右衛門(なかむら・きちえもん)さんの若い頃の生い立ちから現在までを画像でまとめてみました。
【この記事からわかること】
●中村吉右衛門さんの幼い頃の生い立ちから現在まで
●中村吉右衛門さんのご両親や兄弟(家系や家族構成)について
●中村吉右衛門さんの病気で激やせしていた画像!
題して「中村吉右衛門の若い頃から現在【画像】病気で激やせ!」についてまとめています。
中村吉右衛門の若い頃【画像】生立ちから現在まで
中村吉右衛門さんの若い頃の生い立ちから現在までを順をおって見ていきましょう。
ますは、中村吉右衛門さんの簡単なプロフィールから紹介します。
【二代目:中村吉右衛門プロフィール】
本名 | 波野辰次郎(なみの・たつじろう) |
---|---|
生年月日 | 1944年5月22日 |
年齢 | 76歳 ※2021年3月現在 |
出身地 | 東京都千代田区 |
血液型 | B型 |
身長 | 178㎝ |

Photo by Naruyasu Nabeshima
中村吉右衛門さんは、1944年(昭和19年)5月22日に八代目松本白鸚(当時幸四郎)と初代中村吉右衛門の娘である藤間正子さんとの間に元に次男として誕生します。
長男は九代目松本幸四郎さんであり、兄弟お二人はそれぞれ家を継ぐという宿命のもとに生まれした。
お母様である藤間正子さんは初代中村吉右衛門の娘です。
初代中村吉右衛門には息子がおらず、跡取りが居なかったため、藤間正子さんの結婚相手を婿養子にと考えていました。
ところが結婚相手として連れてきた相手が当時7代目松本幸四郎さんだった為、父親の中村吉右衛門は結婚に猛反対します。
松本幸四郎さんが相手だと松本家の跡取りに決まっているので、婿養子になってもらうことが出来ないことは藤間正子さんももちろん承知済み。
結婚が反対されるのは、想定内だったはずです。
そこで、藤間正子さんは父親の中村吉右衛門さんに、「男の子を2人産んで、1人は松本家を継ぎ、もう1人は中村家を継がせる」と約束したそうです。
その言葉通り、男の子二人を出産し、次男である中村吉右衛門さんが初代から二代目の中村吉右衛門を継ぐことになりました。
【二代目:中村吉右衛門の家族構成】
父 | 八代目:松本幸四郎(初代:松本白鸚) |
母 | 藤間 正子(初代:中村吉右衛門の娘) |
兄 | 九代目:松本幸四郎(二代目:松本白鸚) |
父方の祖父 | 七代目:松本幸四郎 |
母方の祖父 | 初代:中村吉右衛門(養父) |
右:初代中村吉右衛門さん
左:二代目中村吉右衛門さんの写真になります。
画像引用:s.nikkei.com
そして、二代目中村吉右衛門さんの幼少期になります。
可愛らしいですね。面影があります。
画像引用:s.nikkei.com
二代目中村吉右衛門さんは、昭和23年6月東京劇場「俎板長兵衛」の長松ほかで中村萬之助を名のり初舞台を踏みました。
当時はまだ4歳でした。
学業の方は、あまり得意ではなかったと言われていましたが、
高校は暁星高等学校卒業され、大学は早稲田大学第一文学部仏文学科に入学されています。
歌舞伎俳優としての仕事が忙しかった為中退されていますが、それもそのはず。
昭和41年10月帝国劇場『金閣寺』の此下東吉ほかで、22歳の若さで二代目中村吉右衛門を襲名。
実父・松本白鸚と養父・初代中村吉右衛門、両者の芸を継承しながら、古典作品の復活上演や後進の育成にも取り組み、2011年には人間国宝に認定されました。
下の写真は、2012年9月新橋演舞場での楽屋の写真です。

写真家 鍋島徳恭氏が2006年から記録し続けた中村吉右衛門の膨大な写真の中から、厳選された30点の写真が「二代目 中村吉右衛門 写真展」で展示してあったそうです。
その時の(2018年12月)のインタビューでは、体力作りについては普段からジムに通っていたことや、ハードな生活の中、心が休まるのはお孫さんと過ごしている時と語られていました。
意外なことに、お酒は昔から飲めないということや「ディズニーランドが好き」で開演したばかりの頃から通っていたそうです。
私生活はチャーミングな一面が見られる中村吉右衛門さんですが、この時から語られる言葉の中に「昔はしていたけれども、今は・・」という言葉をよくお使いになっていまいた。
ジムに通っています。ただ、体調次第ですので、なかなか思うようにはいかないんですけれども、行かないよりはと思って地道に。
今はストレッチとバイクですね。昔はベンチプレスやランニングもしていました。
でも、最近はやりすぎるということもできなくてね。ストイックではなく、やっているのはストレッチです (笑)。
若い頃はゴルフやテニスをやっていて、それが気分転換にもなったのですが、今はとてもできません。それに、お酒もいただかないんですよ。
この時は74歳です。
病気を患って10㎏激やせしていた!
中村吉右衛門さんといえば、2013年10月に味覚障害の病気を患って10㎏激やせしていたことを明かしていました。
確かに、頬の辺りが細くなっています。
2013年7月(当時69歳)に内臓に異変を感じ、8月にのどのヘルペスを発症した際、味覚障害と診断されたそうです。
「一番ひどいときは自分のつばが苦くて飲み込めない。
こんな苦しい思いをするなら、食べないで『このまま逝かせてくれ』と思った。味気ないという言葉を実感しましたね」引用:online (daily.co.jp)
食事がとれずに、点滴を打つ生活が続き、10㎏激やせしたといいます。
その後は、味覚は甘未は感じられるようになり、12月には7割程度回復したそうです。
病気の原因は”不明”と診断されたため、「疲れが出た」のではないかと自身で語られていました。
それからは、2019年にも体調不良で出演中だった恒例の「秀山祭九月大歌舞伎」を休演しています。
また、2021年1月の歌舞伎座公演でも体調不良で17日から休演していますが、25日には復帰されていたそうです。
そして、2021年3月28日夜に東京都内のホテルで体調不良を訴え、都内病院に救急搬送されて現在療養中といいます。
一時は心肺停止状態だったとも報じられました。
とても心配ですね。
若かりし頃から現在までの二代目中村吉右衛門さんの写真を並べてみました。



何年経っても、凛々しい力強さや男前の姿は変わりませんね。
生立ちの最後に、二代目中村吉右衛門さんのインタビュー時のコメントがとても心に響き、大変興味深かった為、引用させて頂きました。
10代の頃は、はちゃめちゃで、遊び呆けてましたね (笑)。
もともと僕は役者には向かないと思っていましたし、今でも才能は少ないと思っています。
ただ、今こうやって役者として認めていただけているのは、自分で言うのもおこがましいですが、努力以外のなにものでもないんです。
初代吉右衛門は天才でしたが、20代になって僕がその名跡を継ぐと決めたからにはもう努力するしかない。
役者の世界は一人の天才が現れるとすべてがガラッと変わりますが、初代はまさにそういう人でした。
きっとファッションの世界でもそうでしょう。
一人の天才デザイナーが現れたら、すべてが変わるのではないでしょうか。
才能のない人間がそういう世界に入ろうとしたら本当に辛いですよね。
でも、僕はそんなこと言っていられませんから、やるしかない。
そう思ってやってきました。
初代の跡を継ぐのは本来であれば並の役者ではできないことなのですが、ファンの皆様が私を二代目と認めてくださっているのは本当にありがたいことだと思っています。
まとめ
「二代目中村吉右衛門の若い頃から現在【画像】病気で激やせしていた!」についてまとめました。
中村吉右衛門さんは、1944年(昭和19年)5月22日に八代目松本白鸚(当時幸四郎)と初代中村吉右衛門の娘である藤間正子さんとの間に元に次男として誕生します。
長男は九代目松本幸四郎さんであり、兄弟お二人はそれぞれ家を継ぐという宿命のもとに生まれした。
昭和41年10月帝国劇場『金閣寺』の此下東吉ほかで、22歳の若さで二代目中村吉右衛門を襲名。
実父・松本白鸚と養父・初代中村吉右衛門、両者の芸を継承しながら、古典作品の復活上演や後進の育成にも取り組み、2011年には人間国宝に認定されました。
2013年7月(当時69歳)に内臓に異変を感じ、8月にのどのヘルペスを発症した際、味覚障害と診断されたそうです
食事がとれずに、点滴を打つ生活が続き、10㎏激やせしたといいます。
病気の原因は”不明”と診断されたため、「疲れが出た」のではないかと自身で語られていました。
それからは、2019年にも体調不良で出演中だった恒例の「秀山祭九月大歌舞伎」を休演しています。
また、2021年1月の歌舞伎座公演でも体調不良で17日から休演していますが、25日には復帰されていたそうです。
そして、2021年3月28日夜に東京都内のホテルで体調不良を訴え、都内病院に救急搬送されて現在療養中といいます。
とても心配ですね。
状況がわかりましたら、また追記していきます。
最後までお読み頂きありがとうございました。