北角 裕樹(きたずみ ゆうき)さんは、ヤンゴン在住ジャーナリストです。
クーデターが起きたミャンマーで2021年4月18日に拘束され身柄が刑務所に移されたことがわかりました。
北角 裕樹さんは2021年2月26日にも、抗議デモを取材中に一時拘束されましたが、その日のうちに解放されていました。
今回の拘束も身の危険が生じないかとても心配です。
命がけでジャーナリストの第一線で活躍されている北角祐樹さんですが、なぜ命の危険をさらすジャーナリストという道を選んだのでしょうか。
北角祐樹さんの過去の経歴とともに、プロフィールから現在の年齢や学歴や出身大学について調べてみました。
題して「北角裕樹の出身大学は早稲田!年齢やプロフィールと学歴についても!」についてまとめました。
北角裕樹の出身大学は早稲田!学歴を紹介!
北角祐樹さんの出身大学は早稲田大学です。
出身地は東京ですが小学校・中学校・高校などの学歴は、明らかにされていません。
情報がわかり次第、追記したいと思います。
北角祐樹さんは早稲田大学時代に、旧ユーゴスラビアのコソボ紛争の取材をしたことがあるそうです。
この取材が北角祐樹さんの心に大きな影響をもたらし、ライターの仕事をやろうというきっかけになったそうです。
北角裕樹の現在の年齢やプロフィールを紹介!
北角祐樹さんの現在の年齢は、45歳です。(※2021年4月現在)
それでは、北角祐樹さんの経歴やプロフィールを見ていきましょう。
【北角裕樹さんの経歴やプロフィール】
1998年 | 23歳 | 伊藤忠商事に入社する |
2000年 | 25歳 | 日本経済新聞の記者として12年勤務 |
2012年 | 37歳 | 大阪市立巽中学校の校長 |
2014年 | 39歳 | 大阪市教育委員会より更迭案が出されたが、撤回され留任後、退職。ミャンマー・ヤンゴンに渡る。 |
2015年 | 40歳 | 総選挙の前から、現地に移住し取材。 |
2016年 | 41歳 | 独立する。 |
2017年 | 42歳 | 「一杯のモヒンガー」がヤンゴンのワッタン映画祭で上映 |
2021年 | 45歳 | ヤンゴンで編集プロダクションを運営 |
北角祐樹さんは、1975年に東京で出生しました。
早稲田大学を卒業後は、伊藤忠商事に入社します。
2年後には転職をして日本経済新聞で12年間の記者の経験を積んでいます。
この経験がのちのジャーナリストとしての土台となっているのかもしれませんね。
日本経済新聞から次の転職は、大阪市立巽中学校の校長に就任しています。
大阪市立巽中学校 高校就任時の写真
(osakan-space.com)
しかし、ここでは北角祐樹校長先生に更迭を求める声が!!
【更迭のきっかけ①】
1年生に向かって『君たちの授業には1時間当たり千円の税金が使われていることになる。つまらない授業なら千円返してもらうよう先生に言いなさい』と発言。授業中に騒ぐ生徒が出てきたので、職員らが騒動の鎮静にあたる。
【更迭のきっかけ➁】
修学旅行のラフティング(川遊び)で生徒をボートから突き落とし、さらにその上から乗って川に沈め生徒を怖がらせた。
(後に『ふざけ過ぎた。監督者という立場上すべきでなかった』と謝罪するも、被害を訴えた生徒本人には謝罪せず。)
Change.org
【更迭のきっかけ➂】
PTA社会見学でビール工場を見学。『この時期に飲酒する事を非難された時の為に休暇を取ってある』と発言し、飲酒。しかもその後学校に 戻り、赤い顔のまま公務につこうとする。『子どもが居るので困ります。今日は帰って下さい』と教頭が言うと『机に書類を置いた方が悪い。酒を飲んだと誰か ら聞いた?』と激昂する。
これ以外にも、色々と更迭のきっかけとなった出来事があったようです。
「教員や保護者らと人間関係が築けず、【学校運営の能力が足りない】と判断した。」
つまり学校長として、非常識な問題ばかりを引き起こし、その度に職員らの手を煩わせているという現実があったようです。
その時に出された更迭案は撤回され、一時留任となりましたが、その後は自ら退職をされているようです。
早稲田大学を卒業後、伊藤忠商事に入社した。2年ほどして日本経済新聞社に記者として中途入社している。才能に溢れているからこその転職と映るが、伊藤忠時代を知る関係者は「仕事らしいことは何もしていない」と振り返る。
日経でも評判は散々だった。「わがままで ………」
北角祐樹さん、もしかして少し個性のお強い性格の方かもしれませんね。
個性的な感性は、学校の先生よりもジャーナリストとしての方が性に合っていたのかもしれません。
校長を退職後は2014年にミャンマー・ヤンゴンに渡り、現地情報誌の「ミャンマージャポン」統括編集長を経て、2016年に独立しました。
歴史的な転換期となった2015年総選挙の前から、現地に移住し取材を本格的に始めます。
2017年に短編コメディ「一杯のモヒンガー」がヤンゴンのワッタン映画祭で上映されました。
2021年の現在では、ヤンゴンで編集プロダクションを運営し、多岐の仕事をされています。
映像作家として、コメディやドキュメンタリーを撮っています。広報アニメの制作もしています。俳優としてミャンマーの映画に出ることもあります。そのほか、雑誌などの編集やパブリック・リレーションズ(PR)についてのアドバイザリー業務、市場調査、イベントの運営などを依頼されることもあります。
北角裕樹の現在の状況は?拘束された身柄は?
北角祐樹さんの現在の状況は、このように報道されています。
クーデター後の混乱が続くミャンマーで18日夜7時45分ごろ自宅のアパートにいたところ、現地に住む日本人ジャーナリストの北角裕樹さんが治安部隊によって自宅から連行されました。
この際、建物には数十人の兵士や警察官が立ち入り、アパートの中のすべての部屋を見て回ったということです。
部屋にあった物も押収されたとみられるということです。
現地の日本大使館は19日朝、最大都市ヤンゴン市内の刑務所で身柄を拘束されていることを確認しましたが、拘束の理由や健康状態については、わかっていないということです。
北角裕樹さんは、治安部隊によって自宅から連行されており、ヤンゴン市内の刑務所で身柄を拘束されているそうです。
拘束の理由や健康状態については、わかっていないそうです。
北角祐樹さんは、2021年2月26日にもクーデターに反対するデモの取材中に警察に拘束されていましたが、この時は、その日のうちに解放されていました。
北角祐樹さんは、2月の拘束後もクーデターによる市民生活への影響などを取材し、SNSに記事や写真を投稿していました。
北角祐樹さんのSNSは、不特定多数の人に公開しているものはないため、日本で入手できる情報は限られたものになります。
「自分たちの力ではどうにもならない」
ミャンマーでは市民の犠牲が700人超に。国軍の弾圧は残虐さを増す一方ですが、ミャンマーの人々は抵抗を続けることでお互いを励ましあっているといいます。ヤンゴン在住のジャーナリスト北角裕樹さんに市民から託された声を聞きました。#StandWithMyanmar pic.twitter.com/cZTVHj4dcs
— Choose Life Project (@ChooselifePj) April 16, 2021
今回が2度目の拘束なだけに、とても心配ですね。
ミャンマーでは、軍側が抗議デモを取材する記者を相次いで拘束し、言論への抑圧を強めています。
2021年4月11日の投稿では「死ぬよりも怖いこと」というタイトルで、プラカードを手に国際社会への支援を求める若者たちの声を紹介しています。
このなかで北角さんは「誰も死にたくて抵抗しているのではない。生活を守り、未来を取り戻すため、潜伏し、声を潜め、そして折を見て抵抗の声を上げる。
彼らが守ろうとするものは大きい。
決して一時の激情で動いているのではない、悩みぬいた末の勇気なのだ」などと記し、軍に抗議するミャンマーの人たちの切実な思いを伝えています。
まとめ
「北角裕樹の出身大学は早稲田!年齢やプロフィールと学歴についても!」についてまとめました。
北角祐樹さんの出身大学は早稲田大学です。他の学歴についてはわかっていません。
北角祐樹さんは2021年4月現在45歳です。
伊藤忠商事や新聞記者、中学校の校長先生の経歴を経て、ミャンマーに渡っています。
現在、刑務所に身柄拘束されているということでとても心配ですね。
最後までお読み頂きありがとうございました。